社長の想い

「世界一の都会に行きたい」

それが、小さいころからの憧れでした。
今思うと、幼少期の私はちょっと変わった子どもだったなと思います。

4つ上の姉と一緒に大自然の中で朝から晩まで遊び、
夏休みの30日以上は海に行き、
何度も溺れて大変な思いをするなど、やんちゃな福井秀樹少年でした。

そんな外遊びが大好きな一方で、ちょっと変わった趣味もありました。

それは…

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社会科の時間で使う地図帳を広げ、
後ろのページに載っている土地の広さや人口のデータなども一緒に見ながら、いろんな場所に行った気になって楽しんでいました。

そんな地図好きの少年が大人になり、今、地図に残るような仕事をしています…

ーーー改めまして、こんにちは。オートリホーム 代表の福井秀樹です。

110-300x300冒頭より失礼いたしました。
このページでは、私の自己紹介も兼ねながら、
オートリホームの家づくりのルーツをお伝えできればと思います。

私のこれまでの半生をお話しすることは、
少し気恥ずかしい気持ちですが、
この人生の葛藤や成果を読んだお客様が少しでも、
これからの皆さまに良い生き方のヒントを御提供できればと思います。

 

それでは引き続き、福井秀樹の物語です。

 

8364小学生時代は、クラスでドッジボールが流行っていたのですが、
休み時間はみんなが外遊びに教室を出て行く中、

「オレは地図見てるし、ええわ」

と言って、一人地図を広げて、ワクワクしながら眺めていました。

そんな幼少時代のある時のこと。
家族旅行で東京の池袋サンシャインシティへ行くことに。
初めて行く東京の景色は、あっという間に私の心をグッと掴みました。

テレビでしか見たことのない大きなビル。
サンシャインシティの高いビルの上から眼下の街を見渡す景色。

その圧倒的な光景は、
私にある感情を芽生えさせました。

「都会に行きたい!」

都会には、私の知りたい世界が詰まっているような気がしていました。
やがて幼心の私の心は「早く地元を出たい!」という
気持ちでいっぱいに。

「まずは、東京だ!」

東京への憧れを実現するためには、まずは実家を出ることだと考え、
高校は県外の高校へ進学し、寮生活を始めました。

8324県外での初めての一人での生活。
不安ながらも少し心が躍っていた私でしたが、
そんな浮かれた気持ちはスグに吹っ飛んでしまいました。

私の高校はみな寮生活で、その寮のルールがとにかく
厳しい。
最初の1年で挫折しそうになりましたが、
卒業式で卒業生がみな泣いているのを見て、
「あぁ、自分も頑張ればああいう思いができるのかなぁ」と思い、もう少しだけ続けることにしたのです。

 

アメリカ人監督 マリオとの出会い

 

高校時代、私はバスケットボール部に所属していました。
当時のチームの監督は“マリオ”というアメリカ人でした。

 

マリオはとても熱心な監督でした。
が、日本語が話せないため、
バスケットボール経験のない通訳に指示を伝言するしかなく、
思うようにコミュニケーションが取れないときもありました。

そんなマリオでしたが、言葉が通じない分、
一生懸命、身振り手振りで私たちを指導してくれ、
県で3位になるなどチームを成長させてくれました。
私はそんなマリオの姿を見て、
言葉の違いによるコミュニケーションの隔たりの大きさを実感し、
それと同時にまだ見ぬ国への興味も湧いてきました。

「どうせ行くなら、世界一の都会に行こう!
 ニューヨークを目指そう!」

今思うと、笑ってしまうくらい安易な発想でしたが、当時は本気でした。
そして、そのことは反対されると思った父親にも、
なぜか反対されることはありませんでした。

最先端に触れることは、先見性を身につけることに繋がると考えてくれたようです。

高校を卒業し、
語学が未熟だった私は、まずアメリカの大学に入るための語学学校に通い、
その後無事、念願のアメリカへの留学が決まったのです。

 

できなかったら、強制送還。アメリカは厳しかった。

 

8348アメリカでの生活が始まると、
私の考えが浅はかであったことを思い知らされます。

言葉が通じない。

当時の私の英語力はほぼゼロ。
『EXIT』をエキサイトと読んでしまうほどでした(笑)

なので、アメリカに来てからは、
今までこんなに勉強したことがない!
と言えるくらい毎日必死に勉強しました。
少しでも油断して単位を落としてしまうと、
日本に強制送還となってしまうという厳しい条件があったからです。

自分の希望で来たアメリカ、

そう簡単に帰ってたまるか!

半分意地になって勉強しました。
毎日図書館へ行き、知り合いを捕まえては
わからないことを聞くなどし、
なんとか単位を取得していきました。

アメリカでは4年目の最終単位はインターンシップとして
実際に企業で働き、
自身が学んだことをそこで活かし、そこで評価された単位を持って卒業となります。
昼はインターンとして企業で働き、夜は他の科目単位取得のために学校へ行き、
怒涛の宿題とプレゼンテーション、スピーチなどの課題に心折れそうになりながらも、
なんとか卒業することができました。

 

 

英語も通常の会話には困らないほど上達し、
就職先はインターンシップでもあった
私の希望していた旅行業界、
それも旅行会社最大手の会社に決まりました。

8340アメリカでは専攻した関係の企業へインターンとして働き、
たいていの学生はインターン先に就職するのが普通でした。
数多くの留学生が成績不振や他の理由で
学生ビザを剥奪され強制送還をされる中、
経営学士号を取得できたのは今まで
あまり努力をしてこなかった私として
一つの自信ともなりました。

卒業してそのままその旅行会社に就職し、
よしっ、いよいよ勉強の成果が試されるとき、
と気持ちが盛り上がっていました。

が、そこでも私は実力社会の怖さを痛感することになりました。

仕事が振るわないと「明日から来なくていいから…」
と平気な顔して通達が来る。
昨日まで隣にいた人が今日はいないなんてことは
日常茶飯事でした。
現地の人はそれが当たり前なので、
特に驚く様子もないのですが、
日本人である私にとってそれは衝撃的であり、
やっと卒業したのに、またも気が抜けない日々が続きました。

アメリカの実力社会で生きることで、改めて結果を出すことの大変さを知りました。

大手旅行会社の仕事そのものは、自分にとって楽しい作業でした。
創意工夫をしながらお客様の期待に応える。
そんな創りだす仕事が私には向いているようです。

8338ちょうど仕事にも慣れて来た頃、
私の気持ちにある変化がありました。

「家づくりの仕事への興味」
「地元で仕事をすることへの関心」

つまり、家業を継ぐことを考え始めたのです。
旅行会社を辞めてから、シアトル近郊にある日系商社木材部で働き始め、ちょうど慣れてきた頃、
あの事件が起きてしまったのです。

アメリカ同時多発テロ事件

当時27歳でした。
アメリカ全土が慌ただしく、
毎日のようにニュースでも取り上げられ私も不安な心境に苛まれました。

事件当日は、就労ビザ取得のため日本にいて無事でしたが、
逆に、規制が厳しくなり、アメリカに帰れなくなってしまいました。

せっかくアメリカの良さも分かってきた頃ではありましたが、事情が事情であること、
そして、両親から「帰ってこい」というすすめもあり、
帰って、実家の仕事をしよう!と決めました。

 

始めは空回り、伝わらなかった気持ち

 

学んだことを活かそうとするが空回りに…

アメリカから帰った私は、
現地で学んだことを活かそうと必死でした。

実力社会の考え方、
シアトルの商社勤務時代に学んだ材木・建材の知識。
いろいろなことを取り入れようと思いましたが、
正直初めは、他の社員からの信頼がなく、会社にいるのが苦しくなるほどでした。

振り返ると、当時の私は「何かをしてやろう」という思いばかりで、
周りに信頼されることを大切にできていなかったのだと思います。

「社長の息子はどんな人物だろう?」という視線を何とか跳ね返してやろうと必死でした。
アメリカから帰ってきて途中から入ってきて、「ああしたい、こうしたい」という私。
いくら社長の息子とは言え、
みんなもなかなかすぐに認めることなどできなかったと思います。

やがて私も気が付きました。

人と一緒に何かを成し遂げようとする時は、
まずは人に信用をしてもらうところから始めないといけない。

正しいことを言っていても「信用」がないと聞いてもらえない…。
「信用」があって始めて話しを聞いてもらえ、取り入れてもらえるものなんだ。

そう考えを改めた私は、周りから信用をもらうために、
営業としてやるからには、まず成績を残さなければならないと考えました。
住宅展示場を周ったり、本をたくさん読んだり、お客様宅を足しげく通ったりもしました。

そして、ついに営業部門で一番の売上になり、
多くのお客様に喜んで頂ける営業マンになりました。

その頃から…社員のみんなの私に対する見る目が徐々に変わってきたのです。

その後、施工側の気持ちも理解しようと、
現場の勉強や、その証にと一級建築施工管理技士、一級土木施工管理技士、二級建築士の資格も取りました。

ひと通りの技術を勉強して、
なおさら実感することなのですが、
何をするにもまずは「人」からの「信用」を頂くことが大事。

これは、地元に帰ってきて、より痛感することです。
徳島はニューヨークや東京のように都会ではありませんが、
だからこそ「信用」「信頼」は大切なんだと痛感する次第です。

礼儀作法に始まり、
整理整頓、
モノを大事に扱うこと、
「信用」「信頼」を大切にするための取り組みは、
一生考えなければならないことであると実感しています。

 

家づくりにおいて最も大切なこと 

 

お客様が満足する家づくりで最も大切なこと、
それは、お客様から「信用」「信頼」を頂くことだと私は考えています。

DSC_0351お客様は家を買うのが目的ではない、
家づくりを通して、悩みや願いを解決したい。
その悩みや願いを話してもらえるような関係づくり。
これがまず大事だと思います。

そして、住まいのプロとしての取り組みを…

地元の住宅会社として、
家づくりだけでなく、リフォームや住まいの相談に応えられる会社づくりを。
お施主様を中心とした、地域のコミュニティづくりを。

ぼんやりとそんなことを描けるようになった40歳を迎える節目の年、
現会長である父から「そろそろ(社長)どうや」という言葉をもらったのです。

 

社長就任にあたって

 

小さい頃から都会に出たい!と思っていた私。
日本を飛び出してたくさんの困難にぶち当たってきた私ですが、
今は、心から充実した気持ちで地元徳島で家づくりをしています。

ただ、社長就任にあたっては、また大きな困難が訪れることとも思っています。
そんなとき、私はある言葉を大切にしていこうと思っています。

「人生前のめりでいこう」

これは、私の座右の銘です。

いろんな困難もそれは必ず未来に繋がっている。
どうせ倒れるなら前のめりでいきたい。
倒れた分でも前進していきたい。
そんな気持ちです。

これからもオートリホームは、
地元の住宅会社として「お客様」「協力業者」「オートリホームのスタッフ」が、
互いに信用、信頼を意識しながら、一緒に成長できればと思っています。

私も「一生涯の付き合いができる住まいのプロ」として、
未来を描ける社長として、お客様のお役に立っていきたいと考えています。

こんなまだまだ未熟者の私ではございますが、
もし街で見かけられましたらお気軽にお声かけください。

元来シャイな性格な私ではありますが、
その時はアメリカでの生活を思い出し、
笑顔でお返しさせて頂きたいと思います。

 

長文、ご覧くださいまして本当にありがとうございました。

 

追伸:これから家づくりをするご家族さまへ

 

家を建てることは、
家族の幸せな暮らしをつくること。

特に私は、家族のコミュニケーションが増えるような空間づくりをしていきたいと考えています。そのためには、私たちも打ち合わせ段階からしっかりコミュニケーションをとっていきたいと思っています。

その上で弊社では、家族にとっての本当の幸せは何かをじっくり考え、
将来の生活の変化など、長い目でご提案させて頂くことが私たちにできることです。
私たちのご提案に、時には「今はこの方がいいのになぁ…」と思うこともあるかもしれません。

ただ、プロとして必要なことはしっかり伝える。
このことを大事に、私たちは家づくりに取り組んでいます。

コミュニケーションを大切に。

現代で薄らいでいると言われる共存意識や困った時のコミュニケーション。

東日本大震災でも感じたことでありますが、
いざというときにはそのコミュニケーションがとても大切だと私は思います。

IMGP5641皆さまはいかがでしょうか?

私たちの家づくりはそんなコミュニケーションを大切にした家づくり。

もし、共感頂き、ご縁がございますようでしたら、皆さまの想いをカタチにするお手伝いを喜んでさせて頂きたいと思います。

 

今後共、変わらぬご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます。

代表取締役社長 福井秀樹